「義士祭」って、どんなお祭り?

「義士祭」って何?


こんにちは☆

「義士祭」ってご存知ですか??

   武士?時代劇?大河?新撰組?

 うーん。何のお祭りだろう。

 ちょっと調べてみました。

 どうやら、武士の格好をした人が、街を練り歩くみたいです
 歴史好きの人は、わくわくしますね。

【時期】
   毎年 12月14日頃 

【場所】
  全国 7か所で行われているみたいです。

  ・赤穂義士祭 – 兵庫県赤穂市。

  ・古市義士祭 – 兵庫県篠山市

  ・北海道義士祭 – 北海道砂川市の北泉岳寺周辺

  ・義士祭(港区) – 東京都港区の泉岳寺や本所松坂町公園(旧吉良邸)

  ・山科義士まつり – 京都府の山科

  ・大阪義士祭 – 大阪府天王寺区の吉祥寺周辺

  ・三次義士祭 – 広島県三次市

 わたしは京都在住なので、山科に行ってみたいです。

【由来・歴史】

 「元禄赤穂事件」がもとになったお祭りです。
 (「あこう」と読むそうです)
 
     「元禄赤穂事件」とは?
  
  武士たちの忠義のお話です。ざっくりまとめてみました。


   ① 赤穂藩主が、恨みから江戸城で、「吉良上野介」を切り殺そうとしました。
   
   「吉良上野介」は死なず、赤穂藩主は切腹を命じられ、さらにお家断絶の命令を受けます。
        

   ② お家断絶をうけ、家臣たちはを明け渡し、山科へ隠れることを余儀なくされます。
   そして、チャンスを待ちます

   
   ③ 家臣たち47人は、主君の仇討のため「吉良上野介」の家に侵入します。

    家の中をさがしても、「吉良上野介」がいません。
    夜明けごろ、やっと炭小屋で「吉良上野介」を見つけ、討ち取ります。

    死体を検分し、背中と額に、主君が負わせた傷を発見します。
 
    その傷を見て、亡き主君をおもい、
    47人の家臣たちは 涙を流しました。

   
  ④ 忠義の厚い、この義士たちの処分について、
   幕府内では対立があったようですが、
   最終的には、切腹を命じられ、主君と同じお墓で眠りにつきました。

  

  「亡君の意思を継いで、仇を討つということは、比類なき忠義」

    これが後世にまで語り継がれ、このお祭りとなりました。


【具体的なお祭りの内容】

 「山科」の内容を書きます。
 
    ・討ち入り装束に身を固めた義士隊の行列がまちを練り歩き、

    ・「刃傷松の廊下」「切腹」「連判状改め」「討ち入り」などの芝居

    ・女性陣による「大石音頭」「元禄花見踊り」の踊りもあるそうです。
 
 
 各地でお祭りの内容が違うみたいです。


今日はこの辺で。
読んでいただき、ありがとうございました♪
今日もよい1日を☆

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